2015年10月18日日曜日

向き、不向きの話

 以前から思っていることではある。
 向き、不向きというのはある。

 そして僕はKPには向いていない。

 先に投稿があったように本日C88にて発行された嵯峨崎新聞社の大正資料集よりシナリオ「列車は往く」を不肖私めがKPを勤めプレイした。ざっくりとした結果は先に述べてあるので割愛してしまって、さてそこで僕が言葉にしてみようかと思ったことがある。それが上記だ。

 基本的に僕がTRPGをプレイするにあたって考えることは互い立場を問わずとにかく楽しめることである。当然PLが開幕早々退場するような事態は見えざる神の手を使役してでも回避してみせよう。
 基本的には、と断ったのはもちろん例外が存在するからである。そう、例えばシナリオが、いや、物語が終わりに近づいてきたときなど。終わりに近づけば近づくほど神の手は遠ざかりあまねく神通力を消し去る用意がある。
 物語が進めば進むほど僕はKPとしての役目を放棄して物語を面白く、ドラマティックに演出することに執心する。もしかしたら最初からそういうスタンスなのかもしれない。開幕早々PLが退場する事態はドラマティックとは少し違うだろう。そういう役回りはNPCのものであって物語が終わりに近づいてこそ主要キャラクターの退場が面白さを引き立てるのだ、と。

 結局のところ僕はKPを勤めながらシナリオを作成しているのだといっていい。
 僕は楽しい。超楽しい。だがPLがそうとは限らない。まあ、今回生存1名死亡1名となった件については十二分に糸を垂らした末の結果であるとは思っているけれども。僕がこのシナリオをプレイするにあたって最も面白いと想定した結果になった点において僕は満足した。PLはどう思ったか知る由もないが。

 まあそういう理由で僕はキーパリングしながらも物語を演出することが楽しくてKPをやっている面がある。先に述べた互いに楽しむ気持ちは後半置き捨てられがちだ。そういう意味で僕はKPには向いていないのだ、と思い至る。

 まあだから別にどうということもない。別にいいじゃない、人間だもの。これからもシナリオは作るしKPもするし物語も演出する。
 ただそういうあり方が一般的にどうなのかと、ふと気にかかっただけである。

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