2020年9月1日火曜日

マンカラはいつから日本に来たのか

 マンカラ本の原稿を書いているのですが、「マンカラが日本にやって来て受容・普及していった過程」がまとまった文章を誰も書いていないことに気づきました。まだ簡単に調べただけで確実なことは言えないものの、断片的な資料からおぼろげなマンカラ発展史が見えてきた感じがします。備忘ついでに今の所の考えをまとめておきます。


1694: Thomas HydeのHistoria Shahiludiiでマンカラが紹介され、この手の石取りゲームに"mancala"の語が充てられる。

1894: Stewart Culinによるマンカラ論文。欧米世界で「改めて」マンカラの存在が認知された(Culinがマンカラを見たのがNYであるように、移民によって既にヨーロッパ世界では遊ばれていたと思われる)。

-1950ごろまで: ウォータールー大学のサイトを見ると、この頃まで特定の地域のマンカラについて紹介する論文が書かれている様子。

1944: William Julis Champion Jr. がKalaha(現在もっとも遊ばれているマンカラのルール)を開発。(1952年に特許が出てるらしいけど確認中)

1964: ダニエル・ロプス「イエス時代の日常生活」が邦訳され、その中にマンカラについての記載がある(らしい、増川宏一「盤上遊戯」から。まだ未確認)。今の所マンカラについて遡れる一番古い日本語文献?

1978: 増川宏一「盤上遊戯」でマンカラ紹介。民俗学の文脈を離れて、純粋にゲームについて紹介したおそらく初めての日本語文献?Dakonのルールについて紹介している。

1985: 朝日新聞10月17日夕刊でマンカラについて言及。ボードゲームサークルの紹介で、遊んだゲームの中にあった。この頃既にボードゲームに詳しい人は遊んでいた様子。サークルの主催は「菊池忠昭」さんとあるけど、団龍彦さん?まさかね……。→追記:まだ残っているボードゲームサークルのサイトによると団龍彦さんで合っているようだった。てかこのサークル、ゲムマの創始者草場純さんのところじゃん!記事冒頭の名前表記がつぶれてよく読めなかったけど確かに書いてある…。草場さんはアブストラクトゲームや伝統ゲームをよく収集されているというから、この時期にマンカラを遊んでいるのはまだ日本にあまりマンカラが浸透していないという傍証、か?直接聞ければいいけど……。

1980年代後半: 未確認資料だけど、この頃すぎやまこういちさんがマンカラをゲーム雑誌で紹介していた、らしい。

1990-1995: 日本レクリエーション協会の会報誌「レクリエーション=Rec」でマンカラの遊び方を紹介。この協会は(前にも言ったけど)マンカラをレクリエーションの一環として普及させる活動をしている。今はカラハを主に遊んでいるようだけど、この頃のルールはWariを紹介している。

2000年代後半: いくつかの新聞で「子供会などでマンカラを楽しむ」記事が掲載されていて、この頃までに相当程度普及しているのがわかる。朝日新聞2008年5月27日朝刊ではマンカラの解説とカラハのルールが記載してあるので、この頃はもうカラハがメインなのだろう。マンカラの解説は日本レクリエーション協会の解説と似ているので、おそらくそこからの引用かな。

2011: この頃から日本レクリエーション協会でマンカラの用具開発などを行っていると書いてある。でもこの頃より前から地道にやっていたんじゃないかな?


こうまとめて見ると色々とミッシングリンクがあるのがわかる。

  • 1964年、あるいは1978年以前のマンカラを紹介した日本語資料は本当にないのか?Culinの紹介とかはどこかの学会誌に載ってもおかしくないような気がする。
  • 1970-80年代からマンカラが遊ばれている様子。この辺りの資料は乏しい。
  • 1990年代後半から2000年代前半にかけての資料はない。しかし2000年代後半には既に児童館や子供の集まるコミュニティには普及していたようなので、この10年間に相当程度の普及があったはず。日本レクリエーション協会の貢献はあったろうけど、ではカラハのルールがどのように普及していったのか。
まあ、この辺りの歴史の話は本にがっつり書くわけじゃないのでいいのだけど、どこか気になるところではあります。遊戯史学会がまだあれば色々お話を聞けたのかもしれないな、と思いながら、しこしこと資料集めに勤しむのでありました。

てかまだ英語資料や論文も全部読めていないんだった。そっちが先だ。

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